父から受け継いだ農業の重圧を幸せに変えたROC–IA魂

こんにちは。ROC IA SAGA代表の井手です。

農家の長男で生まれたということ

私の家は、祖父、父、そして私と三代続くブドウの専業農家です。私は2人兄弟の長男として生まれ、常に農業というものが身近にありました。例えば、この写真なんてとても貴重だと思いませんか?35年前に私は生まれたのですが、その当時、今のように温暖化など、それほど叫ばれていませんでした。

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 87年2月9日撮影 ハウスにのぼり雪かきをする実父

ハウスが倒壊しないように父がハウスの雪かきをしています。今では考えられないことです。

ブドウ園が遊び場だった幼少期

物心ついたときから、私たち兄弟の遊び場はブドウ園でした。父母が農作業をしている隣りで、畑を走り回ったり、小さな落とし穴を作って遊んだり、剪定枝を燃やし焚火をしていました。幼い頃から土と共に生活していました。それが当たり前だと思っていました。

特に私は、じいちゃん子、ばあちゃん子で、いつもじいちゃんの車の助手席に載せてもらっていた思い出があります。じいちゃんは、いつも赤信号で止まるとエンジンを切ります。助手席に座る私に、カウントダウンし始めます。青になるタイミングでエンジンスタート。そんな遊びをしてもらっていました。ばあちゃんとは畑で一緒に農作業の真似事をやったりしていました。

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祖母の真似事をする代表

農家の息子で生まれてしまった苦い記憶

幼少期から大学で家を離れるまでの十数年間、家族で外食をした経験がなく、まして泊まりの旅行なんて行った記憶がありません。家で食べれば安上がりだと言う理由で外食はありませんでした。どうしても家で食べれない場合は、いつもお弁当を作って持参し、飲み物も家で淹れたお茶を水筒に淹れて持参するなど徹底していました。

我が家は、物心ついたときからこの生活なので、嫌だとか、そういった感情はなかったように思いますが、やはりファミレスでご飯を食べている家族を見るとうらやましくなりました。

ひとつだけ苦い経験があります。美術の授業で、「野菜のデッサン」がありました。他の生徒はスーパーで買ってきた見映えのいい野菜を持ってきていたんです。しかし、我が家は自家製のビーマン。形が、いびつで、それを理由に友人にからかわれたことがあります。

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恐怖におびえた幼少期

私の祖父は、毎晩毎晩、酒を飲みかんしゃくを起こし、今思えばアルコール中毒でした。祖母、父、母、叔父に当たり散らし、子供ながら恐怖におびえていた時期があります。ブドウ園の影に父と身を潜め、祖父の精神状態が落ち着くのを待ったこともありました。祖母はその環境に耐えかねて家出をしたことが何回もあります。その祖父も私が中学生のときに亡くなりました。

父も酒の飲み過ぎで母に迷惑をかけていました。酔っぱらって父が私たちの布団の上に倒れ込んだという鮮明な記憶が私にはあります。

家族が消えていく日々

結局、父は腎臓病を患い、その後、人工透析を行うまでひどくなっていました。週3回6時間ほどベットで横になり透析を受けるのです。それが20年間続きました。しかし、父は弱音を一切吐きませんでした。「大丈夫だ」としか言わなかったのです。

昨年のことでした。祖母が肺を悪くしていたこともあり、87歳でこの世を去りました。その二ヶ月後、父も亡くなりました。父は亡くなる一年前に腎臓病から由来するガンが見つかり、療養していたものの、みるみるやせ細り、歩けなくなり、家の布団で寝たきりになりました。その間も、父は「生きる」ことを忘れず、「ブドウの生育はどうか?」と聞いたり、足腰を鍛えるため近所を歩いたりしていました。

その父が亡くなったのです。最期の瞬間は鮮明に覚えています。ここでは到底言えません。

私は、父に最後の最後まで甘えてしまっていたのだと思います。その父がいなくなった。だれもいない。
父は、決して弱音を吐きませんでした。洗面台で吐血しても「大丈夫、胃が悪いだけだろう、すぐ治るから心配するな。」。「さて、ブドウの剪定に行こうか」と平静を装っていました。

私は常に優しい子だった

私は、子供の頃からおとなしい、優しい子供だねと言われ続けていました。ありがたいことですが、裏を返せば、自分の気持ちを表に出せない子だったように思います。
幼少期から学生、成人を迎え、34歳になる年まで自分自身の気持ちを押さえつけ生きてきたように思います。何か考えて行動に起こそうとしても、目の前には父の存在がありました。遠慮して、「父」の存在を超えられなかったんです。

相次いで家族が消えていく。残されたのは私だけ。どうしたら良いのだろうか?答えはでませんでした。畑で作業していても、その重圧とストレスで気がおかしくなることがありました。

「私がやりたいこと」と「実際の行動」が違うことに気づく

あるとき、農作業をしていて気づきました。「私がやりたいこと」と「実際の行動」が違っていたのです。ある人が言いました。この状態が続くと、鬱になり、最後は自殺だ、と。思い返せば、勤め人として仕事をしていたときも同じ状況でした。その頃から自分の人生から逃げていたんです。

これに気づくまで34年かかりました。そして、今「私がやりたいこと」と「実際の行動」がようやく重なり始めました。

そして、私の出した答えを、ROC IA SAGAを通じてお伝えしていきたいと思います。

これが私が出した結論です。

私の人生を生きようと思ったんです。

 

文責;

ROC IA SAGA 代表 井手一郎

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