恐怖の先は恐怖なのか?
誰にでもある内面から湧き出る恐怖
誰しも、何か行動しようとするとき、自分の内面から湧き上がるなんとも言えない不安や恐怖がでてきてしまう。そんな経験はないだろうか?
「失敗したらどうしよう。」「起こられたらどうしよう。」「仲間はずれになったらどうしよう。」「嫌われたらどうしよう。」
人は考える(思考する)生きモノで、このことが良い方に働けば良いのだが、この思考のおかげで自分自身を勝手に苦しめてしまうことが多々ある。私もその一人なのだが、この自分自身を覆う恐怖の呪縛はなかなか取れない。
光が差す瞬間
これは幼少期の原体験から来るのだろうが、今となれば知ったこっちゃない。過去を悔やんでもどうしようもないからだ。悔やむのではなく過去の自分と向き合ったとき、私の場合は、一筋の光が見え、心が癒された記憶がある。
今となれば、その記憶も曖昧だ。しかし、当時の私は、心(本当にやりたいこと)と体(実際の行動)が分断していたことも事実。しかし、その分断を解消し、いわゆる心身一体となった瞬間、頭の中をグルグル渦を巻いていた感覚はなくなった。
あと一歩足りない。
成すべき事が目の前にある今、あと一歩足りないことは自分でも分かっている。
それは、何か?
やはり、“恐怖”だった。
なぜだ、なぜなんだ。
その答えは分かっているけど見ない振りをしている自分がいるのだ。
だから引き寄せの法則で物事はある程度進んでも突き抜けられない。
あと一歩踏み出せば、世界が変わる。
眼前に広がる霧(不安)がまた行手を遮る。
僕のこの状態は、僕にとってマイナス。なんとしても取り払わなければならない。
絶対に、だ。
無理に変わろうとしなくても良いよ、そのままでいいじゃないか。
いやダメなんだ。
これは、本来の僕ではないから。
生まれて来てから35年、積もりに積もった雪(不安や恐怖)を降ろすときが来た。
明日から1週間。
人生を変える旅に出ます。
行き先は、千葉、東京、神奈川。
続きは、このブログとライブ配信をお楽しみに。
よし寝よう♪